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東京地方裁判所 昭和38年(合わ)403号 判決 1964年5月09日

主文

被告人上林一郎を懲役三年に処する。

被告人石川勇を懲役一年四月に処する。

被告人白浜重治、同岩山則夫、同福嶋暎を各懲役一〇月に処する。

被告人宇佐美朝彦を懲役八月に処する。

被告人上林一郎、同白浜重治、同岩山則夫、同福嶋暎対し未決勾留日数中各一〇〇日をそれぞれの本刑に算入する。

被告人岩山則夫に対して本裁判確定の日より三年間右刑の執行を猶予する。

押収にかゝるペテイナイフ三丁(昭和三九年第九五号の一、二、三)はこれを被告人らより没収する。

(1)  本件公訴事実中被告人上林一郎、同白浜重治、同岩山則夫、同石川勇に対する昭和三八年一一月一六日付起訴状第二の(一)(二)

(2)  被告人上林一郎、同石川勇、同宇佐美朝彦に対する前同起訴状第三の(一)(二)

(3)  被告人福嶋暎に対する昭和三八年一一月二五日付起訴状第一の(一)(二)

の各事実について、右各被告人はいずれも無罪。

理由

(被告人らの略歴および本件犯行の背景)

被告人上林は東京都内の私立主計商業学校を卒業して陸軍省雇員となり、昭和一六年末応召、昭和二一年復員して印刷会社社員、図書出版業、紙芝居の脚本書き、人夫、食料品販売業などを転々としたが、この間昭和二三年より昭和三二年にかけて四回に亘り窃盗、詐欺、詐欺未遂の罪により有罪の判決を受け、昭和三三年一〇月長野刑務所仮出獄後昭和三四年一月頃弟と共同して「はやし屋商事地所部」の屋号で不動産業をはじめてのちは、昭和三七年五月肩書住居地に土地を購入し、二階建延二一坪の家屋を新築して妻および三男一女と共に暮し、自家用自動車を持ち、かたわら昭和三四年九月頃以降情婦をかこうなどの生活振りであつた者、被告人白浜は肩書本籍地の中学校を卒業後上京して工員、店員、土工などを転々したのち、昭和三七年一一月頃以降横浜市内の簡易旅館に泊り内妻の義兄である手配師佐藤利雄の下で人夫をしていた者、被告人岩山は北海道において中学校卒業後漁師となつたが、昭和三六年土工となつて神奈川県下で働き、昭和三八年九月頃以降横浜市内の簡易旅館に泊つて人夫をしていた者、被告人石川は肩書本籍地の中学校を卒業し、上京して店員、バーテンなどをして働き、昭和三五年中二度に亘り窃盗罪、有価証券偽造、同行使、詐欺罪により有罪判決を受け、昭和三七年一〇月中野刑務所を仮出獄後は横浜市内の簡易旅館に泊つて人夫をしていた者、被告人宇佐美は浜松市内の中学校を卒業して土工やボーイとして働き昭和三三年横浜に出て沖仲仕をし、浜松市に戻つて土工、バーテンなどをしたが、同年より昭和三五年にかけて三度に亘り窃盗罪で有罪判決を受け、昭和三八年一月中野刑務所を仮出獄して同年八月以降横浜市内の簡易旅館に泊つて人夫をしていた者、被告人福嶋は本籍地の中学校を卒業して上京して店員となり一時帰郷したのち再度上京、工員として都内を転々し、昭和三四年より三五年にかけて二度に亘り窃盗罪により有罪判決を受け、昭和三七年二月中野刑務所を仮出獄後は横浜市内の簡易旅館に泊つて人夫をしていた者である。

被告人上林は昭和三六年土地の取引で損失を受け、手持資金が乏しいところから借財を重ねることとなり、昭和三八年夏頃には債務の総額約一、五〇〇万円に達し、その一部には同被告人が債権者を欺罔し、文書を偽造し或いは委託金を着服するなどの不正による分もあつて、これが刑事問題化しかねない情勢であり、同年三月開業した東和商工株式会社も経営が思わしくなく、他に金策のあてもないため、そのまゝ推移すれば自ら刑事訴追を受け数年来築いて来た信用を失い家族にも累を及ぼすこととなる状態に立ち至り、右債務を一挙に解決して窮状を打開するため一、〇〇〇万円乃至一、五〇〇万円を獲得すべくその方策を思いめぐらした挙句、同年九月上旬頃に至つて、他人を略取誘拐して身代金を要求すれば多額の金員を入手でき、又所謂「吉展ちやん」事件など従前の例より見ても他の犯罪によるよりは検挙され難いなど考えるうち、かねて週刊誌を見た際目にとまつて記憶にあつた皇女島津貴子を略取できれば、その身分、社会的地位より見て身代金として三、〇〇〇万円位を要求しても関係者においては同女を救出するため要求金員を調達して交付するであろうし、この方法は従来何人も考え及ばないところで警察の盲点をつくものであり、警察や報道機関は同女の身体生命の安全を考慮して、身代金と引き換えにその身柄を解放する迄は捜査、報道をさし控えるであろうから、成就後は金員の費消ぶりにさえ注意すれば追及を逃れうると判断するに至つた。

同被告人は右計画を更に具体化し、同女を略取する方法として、同女の外出中は護衛などがあつて困難ゆえその在宅中に数人で居宅に押し入り家族らを脅して同女を連れ出すこととし、これに必要な配下を集めるため週刊誌の記事で記憶していた横浜市中区寿町界隈の簡易宿泊所ずまいの者達に目をつけてこれを報酬で誘おうと考え、同年九月二二日および二三日同町方面に赴いて手配師佐藤利雄に会い、略取の相手を明らかにしないまゝ「女をさらつて来る仕事だ、三、四人集めてくれ、女を車迄連れて来れば一五〇万円やる」などと申して人集めを依頼し、同人の応諾を得た。同人は間もなく意を翻えして被告人白浜に対し被告人上林に会つて申し入れを断る旨伝言するよう依頼したところ、被告人白浜は却つて自ら佐藤に代つて右申し入れに応ずることを決意し、同月二四日同市内において被告人上林に会つて人集めを約し同日倉持四郎および横地常吉、翌二五日被告人岩山をそれぞれ「女を連れ出すことで金になる仕事がある」など申し向けて誘い入れたうえ同月二六日同市内の喫茶店で被告人上林にひきあわせた。被告人上林は右四名に対し略取する相手の名前をあかさないまゝ「相手は身分のある人だ、そこの家から女をさらつて来るのだ」などとのべて翌日の再会を約したが、その際被告白浜らから相手方の家には非常ベル(防犯ベル)がありはしないかとの発言があつた。

被告人上林は島津方居宅についてはすでに同年同月中旬頃自らその場に赴いて附近の地理などの下見をすませていたが、被告人白浜らの右発言によつて防犯ベルの存否を確かめる必要を感じ、同月二七日島津家に赴いてそのないことを確認した。なおその際同家に座敷犬一匹のいることをも確かめた。

被告人上林は以上の様に配下を集めるかたわら安全に身代金を入手する方法を思いめぐらし、又その頃世界的に著名な誘拐事件であるリンドバーク事件を記述した書籍を講読して身代金の紙幣を番号の異なる紙幣にかえる方法を練つていたが、これらの点について更に熟考し略取の具体的方法、役割等を協議するため同月二七日被告人白浜、同岩山および倉持四郎(横地常吉は同月二六日脱退)を熱海市内の旅館「玉の湯ホテル」に伴ない一泊した。翌二八日朝同旅館の一室において被告人上林は島津家およびその附近の図面を示しつゝ右三名に対し「相手方の家族は若夫婦と子供一人、老婦人一人、女中二人、それに小さな座敷犬が一匹いる、夕食時をねらい裏木戸を叩いてあけさせ女中をとりおさえて押し入り、家族全員を刃物で脅し一室に集めて縛り、目かくし、猿ぐつわをし、若奥さんを連れ出して車にのせる、品物はとらないこと、相手方を傷つけないこと、三、〇〇〇万円の仕事だが半分はみんなにやる。」などと説明して全員でこれを協議決定し、脅迫用の刃物その他道具類をとり揃え、あわせて更に人手を集めることとした。なお被告人上林は同旅館において身代金の受取方法についても検討した結果、略取成功後電話で身代金を要求し、ボストンバツクなどの同種同型のもの二個を準備しておき一個を島津家に届けて金員を入れさせ、面識のない女を雇い指定場所である東京都内国電渋谷地下街でこれを受け取らせて近隣の映画館内に運ばせ、館内の暗がりで被告人側の予じめ準備している空のものとすりかえて女を外に出し、警察の目をこれに引きつけ、その間に被告人側は入手した金員を数ケ所の銀行に分散預金し、翌日全額引き出して紙幣の番号をかえる、この間ほゞ五日間で事を終る、などの筋書をまとめていた。被告人白浜は同月二九日被告人石川を、一〇月一日花房誠明をそれぞれ誘い入れて上林にひきあわせた(倉持四郎は九月二八日脱退)。

被告人上林は一〇月二日被告人白浜、同岩山、同石川および花房誠明を伴ない都内台東区浅草「新世界」地下温泉食堂に赴いて個室を借り、前記「玉の湯ホテル」におけるとほゞ同様図面を示して説明し、その結果犯行の具体的方法、役割として、被告人石川が相手方居宅の隣家である五島家の使者になりすまし遣い物を届ける風を装つて裏口をあけさせ、若奥さんの在宅を確めたうえ、被告人岩山が日本刀、被告人白浜および花房誠明がナイフ、麻紐、針金、絆創膏、さらしなどを持ち強盗を装つて押し入り、家族全員を食堂に集めて縛り、目かくし、猿ぐつわをし、若奥さんを連れ出して車にのせる、被告人上林は車を裏木戸のあたりにつけておく、危害は加えない、電話線は切る、などを全員で協議決定した。一〇月三日被告人上林はかねてより自宅に置いていた日本刀一振りをとり出して自家用自動車後部トランクに入れ、午前一時頃都内新宿区の喫茶店で他の者らと落ちあつたうえ、手わけしてペテイナイフ三丁、麻紐、針金、絆創膏、さらし、土産物用松たけ、風呂敷などを購入準備した。被告人白浜は一〇月二日川崎丈夫を誘つて翌三日前記新宿の喫茶店で被告人上林にひきあわせた。

被告人上林、同白浜、同岩山、同石川および花房誠明、川崎丈夫は一〇月三日午後七時頃被告人上林の運転する自動車で前記島津家附近に赴き、各自準備を整えたうえ被告人上林は車に残り岩山は日本刀、白浜は登山ナイフ、石川、花房、川崎はいずれもペテイナイフをもつて同家に接近したが、突然同家の犬が吠えたため家人に騒がれることをおそれて引返し、翌四日午後七時頃再度同家附近に赴き表門および裏木戸の二手にわかれて押し入るべく前同様それぞれ刃物をもち、上林も加わつて全員で同家に接近したが通行人があつたため警察等に通報されることをおそれて引返した。被告人上林を除く右五名は右一〇月四日の昼間、島津家に向う途中、略取する相手が島津貴子であることをはじめてあかされ、このうち被告人石川を除き他の四名はその際より動揺を見せていたところ、事の重大さをおそれて翌五日仲間より脱退した。

被告人上林、同石川はなおも計画を捨てず、被告人石川において一〇月六日被告人福嶋を、同月九日安保千里を、同月一一日被告人宇佐美をそれぞれいゝ仕事があるなど申し向けて誘い入れて被告人上林にひきあわせ、こゝにおいて被告人上林は再度計画を練り直すこととして同月一三日被告人石川および新たに加わつた右三名を熱海市伊豆山の旅館「銀扇楼」に伴い一泊した。その際同旅館の一室において被告人上林は全員に図面を示して前記「玉の湯ホテル」および浅草「新世界」におけるとほゝ同趣旨をのべ、日本刀をはじめ前記道具類を見せて、五、〇〇〇万円位入手する計画である旨説明し、具体的方法、役割は、被告人宇佐美が日本刀、被告人福嶋および安保千里がナイフ、麻紐、針金等の道具を持つこととしたほかはほゞ前回同様とし、全員でこれを協議決定した。

右一四日右全員は被告人上林の運転する自動車で「銀扇楼」より島津家に向い夕刻右計画を実行する手筈で途中それぞれ準備を整えたところ、同家への到着が予定よりおくれたため延期することとなつたが、同家の周囲を一周して帰ろうとした際同家表玄関前路上において折柄島津夫妻が外出先より自家用車で帰宅し車を邸内に入れようとしているのと危く衝突を免れてすれちがつたことなどから、被告人宇佐美、同福嶋および安保千里は略取する相手が島津貴子であることを知り、一方被告人上林は同女が予想に反して護衛もなしに自家用車で気軽に外出していることをはじめて現認した。当夜全員で三鷹市内の旅館「松竹」に戻る途中乃至は同旅館において、犯行方法としては同女が自動車に乗つて外出した折車ごと略取することも可能であることが話題に上つた。

翌一五日夕刻全員で従前の計画どおり夕食時に島津家に押し入る予定で午後四時頃同家附近に赴いたところ自動車がなく同女が外出中と考えられたためその帰宅を待つこととしたが、その頃迄には同女を車ごと略取する案は更に具体化し、同家附近で同刻同女の帰りを待ちぶせし被告人福嶋および安保千里が酔つ払いのふりをして同女の車の前に飛び出しえこれを停める、被告人上林は運転席から、同宇佐美は助手席から、同石川は客席からそれぞれ乗りこんで同女および同乗者を制圧し、被告人上林において車を運転して運び去り途中同女以外の者はおろす、などの話し合いがあり、同夜六時半頃からこの方法によるべく同家附近に手わけして張りこみをおこなつたが、八時頃に至つても同女が戻らないため諦めて松竹旅館に引きあげた(安保千里は右張りこみをおこなう前に脱退)。右帰途の車中乃至は同旅館においてその後の計画について話が出た際、同夜実行しようとした待ちぶせの方法のほか同女の外出前に附近に張りこんでその出がけを同様手段で停めこれに乗りこんで連れ去ることも話題となつたが、被告人上林はなお同女の外出の模様を見、状況によつては追尾してその行先、帰宅を確めるなどして同女の日常の行動をつかんでおきたいと考えていた。

右被告人四名は同月一六日午前一一時頃被告人上林の運転する自動車で島津家附近に到着し暫く様子をうかがつたが、その頃迄には同女を車ごと略取する方法として前記のほかなお外出する同女の車を追跡して適当な場所があればその前に出るなどして停車させ、これに乗りこんで連れ去る方法もあることが話題に上つていた。午後二時過ぎ頃同女が単身自動車を運転して外出するや被告人上林は急遽車を運転してこれを追尾したところ、その際同被告人は、途中人家が少なく人車の交通がとだえるなど適当な場所と機会があれば追い越すなどして停車させる方法により同女を略取することもできるとの考えをいだき、他の三名もその心積りとなつていたが適当な場所と機会がないまゝ同女の車との間隔を約一〇乃至三〇メートルに保ちつゝ走行するうち、人家および人車の往来が多くなつたため略取の企図を諦めたが、世田谷区上北沢二丁目五一六番地先において同女が道を確めるべく停車した際、被告人上林ににおいて同女に感付かれたのではないかと懸念して追尾をも断念したため、結局同女の車を約七キロメートル約二〇分間に亘つて追尾したにとどまり、やがてこれを見失つた。このため更に同女の帰りを待ちぶせてこれを車ごと略取することとし、午後四時頃同家附近に戻り、同夜は、石川および宇佐美がプテイナイフをもつて、全員でそれぞれ手わけして張りこみを行なつたが同女の帰りがおそいため諦めて立ち去つた。

翌一七日被告人四名は島津家に夕食時をねらつて押し入る、同女の車がなければ同家附近で待ちぶせしてその帰りを車ごと略取するとの計画で、午後五時頃同家附近に赴き、同女の車がないため待ちぶせの方法をとることとしたが、被告人らの知らない間に同女が帰宅したため実行に至らず、同員松竹旅館において全員で当日迄の失敗について検討の結果、翌日は同家に押し入る方法を昼食時に行なうこととなり、被告人上林が五島家の使者を装おい同被告人、被告人石川、同福嶋がペテイナイフ、被告人宇佐美が日本刀、全員が麻紐、針金等前記道具を持つこととし、同女の車を使つて連れ出すことをも考えたほかは従前の計画と同様に行なうこととした。

右被告人四名は一〇月一八日正午頃島津家附近に赴き、右計画のとおり各自準備を整え同家に接近したところ通行人があり、警察に通報されることをおそれたことなどから実行に至らず、更に同日夕食時に押し入ることとし同家附近で時間を過すうち被告人石川が仲間より脱退したため残る全員で引きあげた。被告人石川は翌一九日横浜市内で被告人宇佐美に会つた際仲間に復帰することを決意し、電話で被告人上林に対し従前通り協力することを約し同月二〇日復帰した。一方被告人宇佐美、同福嶋は被告人石川が一旦脱退した一八日頃から動揺を示し、同月二一日いずれも仲間より脱退した。

被告人上林、同石川はなおも計画を捨てず、二人だけで島津家附近に待ちぶせして同女が自動車で外出するところを停車させて車ごと略取する方法をとることとし、一〇月二一日より同月二六日にかけて数回にわたり同家附近に張りこんだが実行に至らず、被告人宇佐美の自首に基き捜査に当つた警察官によつて同月二六日逮捕された。

なお被告人上林は、以上の行動のかたわら、計画の実行に必要な監禁場所を埼玉県飯能市に求め、九月二五日同市内の不動産業者に「学生が静かな所で勉強したいので家を探してほしい」旨申し向けて貸家の周旋を依頼し、翌二六日下見に赴いた際貸家が簡単に見付かることを確かめ、更に一〇月五日同市内に新たに恰好な貸家の紹介を受けるやその借り受けを申し入れ、同月八日被告人福嶋を借り主である学生と称して不動産業者に会わせたうえ、その後も電話で連絡をとるなどして巧みに契約をひきのばしつゝその確保に努めていた。このほか被告人上林は二度に亘りゴム印を用いて島津家に残して来るための脅迫状を作り一〇月四日および一四日同家に向う際被告人石川に持たせたが、いずれも同家に侵入するに至らなかつたため使用されず廃棄された。

(罪となるべき事実)

第一、被告人上林は東京都世田谷区玉川上野毛町一一〇番地島津久永の妻貴子をその居宅に押し入つて略取し、身代金を奪うことを計画したところから、その遂行に万全を期すため予じめ同家に防犯ベルの設備があるか否かを確かめその他同家内部の状況を知つておく目的で、昭和三八年九月二七日午前一一時三〇分頃右島津方に赴き、東京電力株式会社の検査員をよそおい安全器の検査に藉口して同家勝手口より屋内に不法に侵入し

第二、被告人上林は右島津貴子を略取して身代金を奪うことを計画し、他の被告人らはそれぞれこれに加担したところその用に供する目的で、いずれも法定の除外事由がなく且つ業務その他正当な理由がないにも拘らず、

一、被告人上林は白浜重治、岩山則夫、石川勇、花房誠明、川崎丈夫、宇佐美朝彦、福嶋暎、安保千里と共謀のうえ、昭和三八年一〇月三日より同月二三日に至る間東京都北多摩郡保谷町大字上保谷一七二〇番地の自宅および前記島津方附近路上等において刃渡り約五二センチメートルの日本刀一振り(昭和三九年押第九五号の四二)を所持し、あわせて、前記島津方附近路上等において同月三日、四日および一八日刃体の長さ約一六センチメートルのペテイナイフ一丁(同号の三)、刃体の長さ約一二センチメートルのペテイナイフ二丁(同号の一、二)を、同月一六日右ペテイナイフ三丁のうち二丁を携帯し(右のうち、白浜、岩山、花房、川崎との共謀は一〇月三日乃至五日、安保との共謀は同月一四日、一五日の日本刀の所持のみ、宇佐美、福嶋との共謀は同月一四日乃至二一日、石川との共謀は同月三日乃至二一日)、

二、被告人石川は上林一郎ほか前記七名と共謀のうえ同年同月三日より同月二一日に至る間前記上林一郎の自宅および島津方附近路上等において前記日本刀一振りを所持し、あわせて前記島津方附近路上等において同月三日、四日および一八日前記ペテイナイフ三丁を、同月一六日右三丁のうち二丁を携帯し(右のうち上林との共謀は全期間に亘る、その余の者との共謀期間は右一記載のとおり)

三、被告人白浜、同岩山は上林一郎、石川勇、花房誠明、川崎丈夫と共謀のうえ同年同月三日より同五日に至る間前記上林一郎の自宅および島津方附路上等において前記日本刀一振りを所持し、あわせて同月三日および四日前記島津方附近路上等において前記ペテイナイフ三丁を携帯し、

四、被告人宇佐美、同福嶋は上林一郎、石川勇、安保千里と共謀のうえ、同年同月一四日より同月二一日に至る間前記上林一郎の自宅および島津方附近路上等において前記日本刀一振りを所持し(安保との共謀期間は同月一四日、一五のみ)、あわせて上林一郎、石川勇と共謀のうえ前記島津方附近路上等において同月一六日前記ペテイナイフ三丁のうち二丁を、一八日同三丁を携帯したものである。

(証拠の標目)<省略>

(累犯となるべき前科)

被告人上林は昭和三二年七月一七日東京地方裁判所において窃盗および詐欺罪により懲役一年六月に処せられ、昭和三三年一二月二七日右刑の執行を受け終つたもので、この事実は検察官作成の同被告人に関する前科調書によつてこれを認める。

被告人宇佐美は昭和三四年六月一二日横浜簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年執行猶予四年に処せられたが、昭和三五年一〇月一〇日東京地方裁判所において右執行猶予の言渡しを取消され、昭和三八年七月五日右刑の執行を受け終つたもので、この事実は検察事務官作成の同被告人に関する前科調書および関東地方更生保護委員会事務局長作成の「宇佐美朝彦の刑の執行状況について(回答)」と題する書面によつてこれを認める。

被告人福嶋は(一)昭和三四年一一月二六日渋谷簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年執行猶予三年に処せられたが、昭和三五年九月七日東京地方裁判所において右執行猶予の言渡しを取消され、昭和三七年六月一三日右刑の執行を受け終り、(二)昭和三五年六月一四日東京地方裁判所において窃盗罪により懲役四月および一年に処せられ、同年六月二九日右四月の刑の執行を、昭和三六年六月一三日右一年の刑の執行を受け終つたもので、この事実は検察事務官作成の同被告人に関する前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人上林の判示第一の所為は刑法第一三〇条前段罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、被告人全員の判示第二の所為中それぞれ共謀して法定の除外事由がないのに日本刀を所持した点は銃砲刀剣類等所持取締法第三条第一項第三一条第一号刑法第六〇条、それぞれ共謀して業務その他正当な理由がないのにペテイナイフを各携帯した点は各銃砲刀剣類等所持取締法第二二条第三二条第一号刑法第六〇条に該当するところ、右の刃物携帯の各罪は刀剣所持の一個の罪と想像的競合にあたる場合であるから、各被告人につき刑法第五四条第一項前段第一〇条により一罪として重い刀剣所持の罪の刑に従い所定刑中懲役刑を選択し、被告人上林、同宇佐美、同福嶋には前記の前科があり被告人上林の第一、第二の罪、被告人宇佐美、同福嶋の各罪はいずれもそれぞれ右前科と同法第五六条第一項の関係に立つので右の各刑にいずれも同法第五七条により再犯の加重をし、被告人上林の以上の罪は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条により重いと認める銃砲刀剣類等所持取締法違反の罪の刑に法定の加重をし、右の各刑期の範囲内で処断すべきところ、本件犯罪は冒頭に詳記した背景のもとに行われたものであるから、同記載の本件犯罪の動機、原因、社会的影響、各被告人が本件犯罪に加担し、或いは脱退した状況、各被告人の関与した役割乃至は期間、被告人宇佐美の自首、他の共犯者の不起訴処分、被告人らの前科、前歴、その他諸般の情状を考慮のうち、被告人上林を懲役三年に、被告人石川を懲役一年四月に、被告人白浜、同岩山、同福嶋を各懲役一〇月に、被告人宇佐美を懲役八日に処し、刑法第二一条を適用して被告人上林、同白浜、同岩山、同福嶋に対し未決勾留日数中各一〇〇日をそれぞれの本刑に算入し、被告人岩山に対し同法第二五条第一項第一号により本裁判確定の日より三年間右刑の執行を猶予し、押収にかゝるペテイナイフ三丁(昭和三九年押第九五号の一、二、三)は被告人らの判示第二の犯罪行為を組成したもので被告人ら以外の者に属しないので同法第一九条第一項第一号第二項によりこれを被告人らより没収することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書により全部被告人らに負担させないこととする。

(無罪の判断)

第一、昭和三八年一一月一六日付起訴状第二の(一)(二)、第三の(二)および同年同月二五日付起訴状第一の(二)の各公訴事実について、

右公訴事実の要旨は、

「一、被告人上林、同白浜、同岩山、同石川は花房誠明、川崎丈夫と共謀のうえ、昭和三八年一〇月三日午后七時頃東京都世田谷区玉川上野毛町一一〇番地島津貴子方居宅に侵入して家人らを脅迫し、しばりあげるなどしてその反抗を抑圧し、右貴子を略取すべく、被告人石川がナイフを、同岩山が日本刀を、同白浜及び前記花房、川崎が各ナイフを、更に各自が針金、麻紐、さらし、絆創膏などを携えて被告人上林と共に同家に接近し、同家裏木戸から押し入るべくこれを開こうとした際、同家邸内から突如予期しなかつた犬が吠えはじめたため、同家人らに騒がれ事が成就しないことを危惧して引き返し、その目的を遂げず(昭和三八年一月一六日付起訴状第二の(一)の事実)、

二、被告人上林、同白浜、同岩山、同石川は前記花房、川崎と共謀のうえ、同年同月四日午后七時頃、右一記載の目的で同記載のとおり、それぞれ日本刀、ナイフ、針金などを携え、同家に押し入るべく同家表門および裏木戸に接近したが、偶々同所に通行人があつたため、犯行を警察などに通報され事が成就しないことを危惧して引き返し、その目的を遂げず、(前同起訴状第二の(二)の事実)

三、被告人上林、同石川、同宇佐美、同福嶋は共謀のうえ、同年同月一八日正午頃右一記載の目的で被告人宇佐美が日本刀を、同上林、同石川、同福嶋が各ナイフを、更にそれぞれ針金、麻紐、さらし、絆創膏などを携えて同家に向い、同家裏木戸から押し入るべくこれに接近したが、偶々同所附近に通行人があつたため、犯行を警察などに通報され事が成就しないことを危惧して引き返し、その目的を遂げず(前同起訴状第三の(二)および同年同月二五日付起訴状第一の(二)の事実)」

というにある。

ところで、右一、二の公訴事実については、被告人上林、同白浜、同岩山、同石川が花房誠明および川崎と共謀のうえ、又右三の公訴事実については、被告人上林、同石川、同宇佐美、同福嶋が共謀のうえ、それぞれ各起訴状記載の通り島津貴子方居宅に侵入して同女を略取すべく同記載の所為に及んだことは前掲の各関係証拠によつてこれを認めることが出来る。したがつて、略取の犯意の点については何ら疑問の余地はないのであるが、被告人らは一〇月四日、一八日は同女方居宅への侵入行為にすら着手したものといえないことは明かであり、一〇月三日についても被告人石川において同女方外塀にしつらえた裏木戸に手をかけようとしたに止まり、これらの段階においては未だ同女を略取するための暴行、脅迫があつたといえないことは勿論、これらに接着する行為に出たということもできないので、略取の着手があつたと解することはできない。右事実はいずれも罪とならないものとして刑事訴訟法第三三六条前段により無罪の言渡しをすべきものである。

第二、昭和三八年一一月一六日付起訴状第三の(一)および同年同月二五日付起訴状第一の(一)の公訴事実について。

右公訴事実の要旨は被告人上林、同石川、同宇佐美、同福嶋は共謀のうえ、前記島津貴子が自動車で外出するのを待ちうけて追尾し、路上でその運行を妨げて停車させ、被告人上林が運転者席へ、同宇佐美が助手席へ押し入り、同石川、同福嶋が後部席に乗りこみそれぞれ同女の自由を奪つてこれを略取しようと計画し、同年同月一六日午后二時過ぎ頃、同女が単身自動車を運転して外出するや、前記日本刀、ナイフ、針金、麻紐などを用意のうえ、被告人上林が運転し、同石川、同宇佐美、同福嶋が同乗した自動車で、前記貴子の運転する車を追いかけ、前記島津家より同区上北沢二丁目五一六番地先路上まで約七キロメートルの区間を約二〇分間に亘つて、その機会をねらいつつ追跡し、同女を略取しようとしたが、右区間中の道路巾員が狭く且つ対向車輛などがあつたため同女の自動車を停車させることができぬうち、これを見失つて、その目的を遂げず」というにある。よつて審按するに、

一、右被告人四名が同年一〇月一六日午前一一時頃東京都世田谷区玉川上野毛町一一〇番地島津貴子方居宅附近に赴き、午后二時過ぎ頃同女が単身自動車を運転して外出するや、被告人上林の運転する自動車でこれを約七キロメートル約二〇分間に亘り間隔約一〇ないし三〇メートル(踏切りなどではすぐ後になつたことがあり、離れたときは約一〇〇メートルに及ぶ)で同区上北沢二丁目五一六番地先迄追尾したことは前掲関係証拠によつてこれを認めることが出来る。

二、検察官は、右被告人四名が共謀のうえ、同女の車を追尾して途中路上においてその運行を妨げて停車させ全員で同女の車に押し入り同女の自由を奪つてこれを略取しようとの計画で右追尾行為を行つたものである旨主張し、右共謀は追尾開始前に成立していたとする。

三、そこで先ず右の共謀の点について考察する。

(一) 被告人石川の供述調書を見るに、司法警察員に対する昭和三八年一〇月三一日付(検察官請求証拠目録乙四〇番以下乙何番と表示)第二項、同年一一月九日付(乙四六番)第八項末尾、検察官に対する同年一一月三日付(乙五一番)第一項、同年同月二二日付(乙五七番)第三項には、それぞれ「同女の車を追尾して略取する」との共謀が一〇月一五日夜成立した旨の供述記載がある。しかるにこれらの中間に作成されたことの明らかな検察官に対する同年一一月八日付(乙五二番)第五項には、一〇月一五日夜の話しで翌一六日にやることとして、「夕食時に同家に押し入つて略取する」、「同女の車の帰りを待ちぶせて車ごと略取する」、同「女の行先を確めるためその車を追尾するが、途中適当な場所があれば同女を車ごと略取する」、などが考えられていた旨、追尾して略取する方法をとることが必ずしも具体的に確定していなかつたとの趣旨の供述記載がある。しかも前出乙五一番第二項には、同被告人としては一六日は追尾して略取する計画だつたと思つている旨、これが単に同被告人自身の心積りにすぎなかつたことをうかがわせる供述記載がある。同被告人は当公判廷(第七回、第九回)においても右乙五一番第二項、五二番第五項の供述記載に沿う供述をしている。

(二) 被告人宇佐美の供述調書を見るに、司法警察員に対する同年一〇月二五日付(自首調書。乙七五番)第九項、同年同月三一日付(乙七九番)第四項の3、同年一一月一日付(乙八〇番)第四項にはそれぞれ「追尾による略取の方法」の共謀が一六日朝松竹旅館を出る際になされた旨の供述記載がある。しかるに、これら調書より後に作成された司法警察員に対する同年一一月一一日付(乙八一番)第四項の4、検察官に対する同年同月二日付(乙八五番)第八項、同年同月九日付(乙八六番)第一六項、同年同月一五日付(乙八八番)第三、第四丁には、一〇月一六日の計画としては、追尾による略取の方法ではなく「昼間同女方附近で同女の車の出がけを待ちぶせし」、被告人らの一人が同女の車の前に飛び出して停車させ、全員でのりこんでこれを略取する方法であつた旨の供述記載がある。

(三) 被告人福嶋の供述調書を見るに、司法警察員に対する同年一一月一七日付乙九四番第一五項、検察官に対する同年同月一八日付(乙九五番)第九丁には被告人宇佐美の前記乙八六、八八番とほぼ同旨の供述記載があるところ、その後作成の検察官に対する同年同月二一日付(乙九六番)第八項には、一〇月一五日夜「追尾による略取」の方法がきまつた旨の供述記載がある。

(四) 更に他の証拠を見るに、被告人石川の前記乙五七番第三項、検察官に対する同年一一月八日付(乙五二番)第六項には、一〇月一六日当時は同女の車の「出がけを待ちぶせする」方法は話に出ていなかつた旨の供述記載があり、同被告人の当公判廷(第七回、第九回公判)における供述には右と同旨および同女の車の「帰りを待ちぶせする」方法は一〇月一四日夜話題となつたが具体化はしていなかつた旨の部分がある。又被告人宇佐美は第六、第八回公判において、同女の車を「追尾し」、或いは「昼間出るところ、夜もどるところを待ちぶせる」などして略取する方法が一〇月一四日から二、三日の間に話に出た、一六日追尾開始前駐車中の車の中でもこれらの方法のあることが話題となつていた旨をのべている。安保千里の検察官に対する同年一一月八日付供述調書(甲二三二番)第五、六丁には、同女の車の「出がけ或いは帰りを待ちぶせする」方法が一〇月一四日の夜話に出た旨の供述記載がある。一方被告人上林の供述調書を見るに、検察官に対する同年一一月一一日付(乙一八番)第二項には、一〇月一五日夕刻同女方附近に駐車中同被告人が同女の車の「帰りを待ちぶせする」方法を持ち出し、被告人石川、同宇佐美が賛成した旨、同じく同年同月一五日付(乙一九番)第二〇項には、一〇月一六日の追尾開始前迄は右の方法および同家に侵入する方法のほかには略取の方法は必ずしも明確となつていなかつた旨の各供述記載があるほか、同被告人は捜査段階および公判を通じ一貫して一六日は同女の動静を見るために同女方附近に赴いたものである旨をのべている。

(五) ところで被告人上林が同女を略取して身代金を奪うについて周到な計画を立てていたことは証拠上明かであつて、一〇月一五日および一八日の計画についても同被告人の自動車を放置すれば追及の手がかりを残すこととなる点を考え、日頃附近で駐車に多く利用されている道路をえらんで車をとめておくなどの配慮をしていたことが同被告人の当公判廷(第七回)における供述、検察官に対する同年一一月一一日付(乙一八番)および被告人石川の検察官に対する同年同月八日付、(乙五二番)同年同月一四日付乙五五番、司法警察員に対する同年同月一〇日付(乙四七番)各供述調書によつて認められるところ、追尾して途中車ごと略取する方法をとるについては右と同様の問題が一層真剣に考慮されるのが自然と考えられるにも拘らず、これが話題に上つた形跡や同被告人がこれについて何らかの配慮をめぐらしたことを認めうべき証拠はない。

(六) 以上(一)乃至(四)の各供述記載乃至供述の推移およびくいちがい、(五)の点ならびに証拠上明かなとおり被告人らは一〇月一六日追尾開始前迄には同女の外出経路等につき何等知識を有していなかつた点を総合検討するに、結局一〇月一六日追尾開始の時点では、被告人らの間において同女を車ごと略取する方法として同女方附近で同女の車の出がけ、或いは帰りを待ちぶせし、又同女の車を追尾して途中略取するなどの方法がある旨話題となつていた程度のことを認め得るに止まり、当日の計画として同女の車を追尾して途中略取する方法をとるとの共謀が成立していたと認めることは出来ない。その他これを認めるに足る証拠はない。

(七) 次に右一六日の追尾開始後の被告人らの犯意について考えるに、被告人宇佐美、同福嶋が捜査段階においてほぼ一貫してのべているところによれば、右両名が当日追尾中は適当な場所があれば同女の車の前に出るなどして停車させ全員でこれに乗りこんで同女を略取する考えで緊張していたことが認められ(両名の当公判廷における供述中緊張の理由は同女を略取することと関係がない旨のべる部分は措信し難い)、被告人石川が当日同女を追尾して同様の方法で略取する考えであつたことは前記乙四〇、四六、五一、五七番の各供述調書および同被告人の当公判廷(第七回、第九回公判)における供述によつて明かであり、被告人上林が捜査段階において繰返しのべているところによれば同被告人も追尾開始後一時は、途中機会があれば同女を車ごと略取する考えとなつていたことが認められる(同被告人の当公判廷における供述中これを否認する部分は措信出来ない)。以上と前記一認定の事実および判示冒頭の被告人ら相互の関係より見れば当日追尾開始後は、被告人らとくに犯罪を計画しその実行の指揮にあたつた被告人上林において、近くに人家や人目がなく追越可能の道幅のところで、人の通行や対向車後続車の交通が或る程度とだえるなど適当な場所および機会であると判断したときは、ここに意を決して略取の企図を実行に移すため、自ら運転する車を駆つて同女の車の横又は前に出るなどしてこれを停車させ、全員で乗り込んで車ごと同女を略取する旨、被告人らの間に暗黙の裡に互いに意思相通じて、共謀が成立していたことを認めることができる。

四、更に検討するに

(一) 被告人上林の供述調書中、検察官に対する同年一一月一一日付(乙一八番)第三項、同年同月一五日付(乙一九番)第二〇項、被告人石川の供述調書中、司法警察員に対する同年同月一〇日付(乙四七番)第五項、検察官に対する同年同月八日付(乙五二番)第六項、同年同月一五日付(乙五六番)第七項、同被告人の当公判廷(第七回、第九回公判)における供述、被告人福嶋の検察官に対する同年同月二一日付(乙九六番)第九項によれば、被告人らにおいて同女の車を追尾中、世田谷区内砧公園附近を通る際、被告人上林、同石川、同福嶋はその附近を地理的条件としては同女を略取する恰好の場所と考え、被告人石川はその附近で犯行に及ぼうかとの発言さえしたことが認められ(被告人らの当公判廷における供述中これらの点を否定する趣旨の部分は措信出来ない)、被告人宇佐美、同福嶋においてその頃同女を略取するものと考えて緊張していたこと前記のとおりである。

(二) 而して当裁判所の検証調書および司法警察員作成の同年一一月八日付実況見分調書によれば、右砧公園附近は約六〇〇メートルに亘り道路西側は公園緑地、野球場、ゴルフ練習場、東側は公園緑地および広々とした畑地であつて、附近に人家がなく人車の交通も多くない場所であること、道路は巾員五メートル余りで、対向車がなければ自動車の追い越しは可能であることが認められる。

(三) しかし乍ら、被告人らは、当日追尾開始後に、途中同女を略取しようと暗黙の裡に意思相通じて共謀するに至つたにすぎず、事前に計画を具体的にはかつてはいなかつたこと前記認定のとおりであり、又被告人らは同女の行先がどこであるかはもとより、同女の車がどの様な道を通るかも知らず、実際に追尾した経路は右公園附近を含めて終始はじめて通る道であつたこと、従つてまた被告人らにおいては同女の車をとめてこれに乗りこむべき場所として右公園附近を予定していたものでなく、その他犯行の場所を予定しておくことも出来なかつたことはいずれも証拠上明かである。又前記認定のとおり、追尾した時刻は昼間の二時過ぎであり、追尾した経路は人車の往来のとだえること稀な東京都内の公道上で相手は自動車を運転中の成人の婦女である。しかも被告人上林の当公判廷(第九回)における供述および司法警察員作成の昭和三八年一一月八日付実況見分調書によれば右公園附近において同女の車と被告人らの車との間には他の車が入つていたものと認められるばかりでなく、同被告人の司法警察員に対する同年一一月一二日付供述調書(乙一二番)、被告人宇佐美の検察官に対する同月九日付および同月一五日付各供述調書(乙八六番、乙八八番)、被告人福嶋の当公判廷(第八回)における供述、司法警察員に対する同月一七日付(乙九四番)、検察官に対する同月一八日付および同月二一日付各供述調書(乙九五番、乙九六番)によれば、当時対向車や後続車のあつたことが認められ、被告人上林の供述調書前記乙一八番第三項、乙一九番第二〇項および被告人石川の供述調書前記乙五二番第六項によれば、自ら車を運転していた被告人上林は右公園附近を通る際も対向車、後続車等があつてその場で同女を略取することは人目について困難と判断し、なお追尾を続ければより恰好の場が見付かるであろうかと考えてそのまま走行を続けたが、結局その後人家がふえ、道路の状況もかわつたため追尾のおわり頃には右両被告人とも当日追尾中同女を略取することは不可能と考えるに至つていたことが認められる。

(四) 右追尾中被告人らがナイフ、針金、麻紐等の兇器類を身に帯び又は座席内に持ち込んでいたか或いは自動車の後部トランクに入れたままであつたかについては積極、消極両証拠があつて必ずしも判然とせず、被告人宇佐美の検察官に対する昭和三八年一一月九日付および同月一五日付各供述調書(乙八六番、乙八八番)と前記認定の罪となるべき事実第二とを併せ考えれば、一見これを肯定する証拠にもかなりの信憑性があるかの如くであるけれども各被告人は捜査当初いずれも追尾中兇器を身に帯びていたことを否認し、のちにはこれを認めた部分もあるが、当公判廷ではこれを否認しており、その各供述を詳細に検討すると、認めた部分においても分配の時期、場所、所携者等につき被告人ら相互の供述間において相当の齟齬があるだけでなく当該被告人の供述自体極めて変転していること、また被告人らは一〇月一六日追尾後島津方附近で張り込んだ際およびその他の日に関しては捜査、公判を通じてほぼ一貫して兇器所携を認めているにかかわらず追尾時の兇器所携の点だけは捜査当初以来かなり争つていること、さらに、追尾後島津方附近で張り込んだ際兇器を分配した旨の証拠が存するのに対し追尾後兇器を一旦とりまとめたと認めるに足る証拠は存しないこと等を総合すると、右追尾時被告人らが兇器を身に帯び或は車の座席内に持ち込んでいたかは疑わしいと云うべきである。

五、以上認定したところによれば、被告人四名は一〇月一六日午后二時過ぎ頃同女の車を追尾しはじめてのちは、途中前記のように適当な場所と機会があれば、被告人上林の指示のもとにその際その場で略取決行に及ぶことを決定したうえ同女の車を追い越すなどして停車させ、全員でこれに乗りこんで同女を車ごと略取する旨の共謀に達していたが、他より発見妨害され、或いは警察に通報されるなどして不成功に終ることのないよう、被告人上林において右のように略取の企図を決行するに適当と思料する場所および機会を探し求めつつ追尾を続けたにすぎず、砧公園附近に差しかかつた際も、被告人らは地理的条件は恰好であると考えたものの現にその場において同女を略取しうる情況であるとの判断には至らず、その結果自ら車を運転し略取の意図の決行に移るかどうかその決定の鍵を握つていた被告人上林は、略取行為にかかる意図をもつて同女の車の横又は前に出るため殊更に接近するなどに必要な具体的行為にすら出ようともせず、それ迄と同様の状態のまま追尾を続けたすえ、その終り頃に至つては、被告人上林、同石川らにおいて追尾略取決行の意思をも失つていたものであることが明かである。即ち被告人らの右追尾行為は、その犯意の内容と行為から見て略取実行の着手に至る前の段階に属し、その場で即刻犯行に及びうると判断して犯意を直ちに実現する決意の下に相手方に襲いかかろうとする態勢をとつた如き場合とは段階を異にするのであつて、被告人らの追尾行為がその様な緊迫した態勢に至つていたと認めるに足る証拠はない。なお、このことは、仮に被告人らが前記の兇器類を身に帯びていたとしても同様である。

よつて右事実については、被告人らが略取罪の要件たる暴行、脅迫に及んだことについては勿論、これらに接着する行為に出たことについても証明がないことに帰し、刑事訴訟法第三三六条後段により無罪の言渡しをすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。(裁判長裁判官江里口清雄 裁判官簑原茂広 横畠典夫)

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